常本八のブログ

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【日記】「才能」を表す単語を最初に作ったやつは偉い。

ただの雑記。散歩してて思いついた話だから気軽に読んでね。

 

「才能」

 「才能」を表す単語を最初に作った奴は偉いと思う。この世の中、あまり表立って言わないようにしているけれど「才能」は確かに存在する。才能を持っているのは一部の人だけだからだ※。世の中の挑戦する人々の一部はこの存在を認めたくながっているし、『才能は努力に勝てない』、みたいな才能を過小評価する名言が定期的に生まれている。(才能の有無にかかわらず、努力することは滅茶苦茶必要だと思うけど。いや、この格言は才能を過小評価する意味合いで作られていないのか?)そして私もその気持ちが分からなくもないと思うときがある。

 

(※ここでいう「才能」とは社会で目立つことのできる―例えば、歌が上手い、絵が描ける、話がうまいといったもの―ものである。実際にはたいていの人には何かしらの「才能」が備わっているけれど、前者の様な「世の中で活躍できる才能」ではない。「世の中で活躍できる才能」はある程度限られている。多くの人が求めているのは「社会で目立つことのできる才能」である。)

 

 そういうわけで、そういった存在してほしくない存在が確かにあると認識し、あろうことか言語に落とし入れた張本人は偉いと思う。勇気がある。

 

 いや待てよ。「才能」を作ったやつは何かしらの「才能」があったのかもしれない。だからその人は「才能」の存在を何の抵抗もなく肯定できたのかも。だとしたら、なんだか嫌味な出自だ。とはいっても、実際に存在するものだから遅かれ早かれ誰かしらによって作られることは確定していたのだが……

 

 いや、逆に学生的なノリで作られた単語だったのかもしれない。人をおちょくるのに長けている少年がいて、それを見た友人が、「お前は本当に人をコケにするのがうまいな。なにか他の人とは違う能力があると思うよ」といったゆるい流れから「才能」が作られたのかもしれない。だとしたらその人はかなりの重罪人だ。だって現代には「才能」という単語で苦しんでいる人がこんなにもいるのだから。でも、こっちの方が気が楽でいいな。